| ● 2003年3月4日(火) |
フェルナンドのドライブするワゴンはもう3時間も走っているが、まだ目的地には着かない。メールにはSan Deigoからたったの2時間だ、と確かに書いてあったのだがどうやら我々は既にラテン界という異世界に突入し、腕時計が指し示す時間経過とは別の時空連続帯を経験しているらしい。などということを日本からのフライトで疲れた頭で考えていると、フェルディナンドが国境に着いたと言う。
絵になるようなゲートもなく、簡単な手続きを事務所で済ませてあっけなく入国。しかし、アメリカ、メキシコ両国民はもっと簡単に手続きなしで出入国しているので、メキシコへの密入国は至って簡単。ドラマーの高橋アコは入国書類に書かれた本当の年齢をフェルディナンドから必死に隠していてかわいかった。で、ここからさらにどれくらい走るのかと訊くと、もう着いたとのこと。BajaProg開催地メヒカリは国境の町なのでした。
僕はArs Novaの海外公演はこれまでに何度もブッキングしているが、公演に同行するのは今回が初めて。もともとPOSEIDON Recoredsのプロモーションをしに行く予定だったのだが、プロデューサーのヌメロ上野が寝込んでしまったために、ツアーをサポートすることになった。マネージャーではないのでディシジョンはバンド側が行う、という微妙な立場。でも、Ars Novaは海外公演に慣れているし、ギャラも事前にもらっちゃうように手配したし、あとは鷹揚なラテン人とうまくやれれば問題ないでしょう、と既にアタマの中はラテン化しているのだった。
Hotel Araiza Innに着くと、主催者であるAlfonso Vidalesがいつもの笑顔で迎えてくれた。成功した実業家、1978年に結成されたプログレバンドCastのリーダー、そしてBajaProgのオーガナイザーと各方面で大活躍のアルフォンソとは世界中のフェスティバルで出会う仲だが、Ars Novaがことのほかお気に入りのようでとても親切だ。確かにArs Novaは攻撃的でハッタリが効いた音楽なので、ラテン人好みかも。アルフォンソはこのメヒカリ出身で、ここへはアメリカから集客できるために、プログレフェスティバルが成り立つという幸運もBajaProg開催を助けている。
Hotel Araiza Innは客室が200くらいはありそうな中級のホテル。フェスティバル昼の部が開催される小ホールや、コンベンション会場なども併設したアメリカンスタイルで、物価がアメリカの半分くらいと安いメキシコで1泊100ドルだから貧乏旅行ばかりしている我々の感覚からすると豪華ホテルだ。ネットができるビジネスルームやテニスコート、プールもある。ここがオフィシャルホテルで、PFM、フォーカスなどの各バンドや世界中から集まるジャーナリスト、レーベル、ディーラーなど関係者全員このホテルに宿泊する。
イケイケな音楽性とは裏腹に根がまじめなリーダーでキーボード奏者の熊谷桂子は用意されているはずの機材をすぐにでも見に行きたいと言いだし、10分で旅装を解いてロビーに集合する。フェスティバル会場では、明日からの開催に備えて準備が進んでいた。プログレのフェイスティバルだけあって、キーボード類は20種類ほどが整然と並べられ、Ars Novaの2人のキーボード奏者は「あああー、こんなのあるんだー」などと言いながら使う機種を選択し、ビンテージキーボードの前で記念撮影。足りない機材を明日までに揃えてもらうように話して、準備は無事に終了。
本日最後のプログラムは、アルフォンソの豪邸でのウエルカムパーティー。昼の部に出演するバンド、南米系のバンドはほとんどが出席しており、タコスとテキーラで歓迎された。Ars Novaはとっても目立っていて、しかも3人揃ってテキーラの一気呑みなどという芸を披露するものだから常に人の輪の中心だった。パーティーは朝まで続きそうな勢いだけど、Ars Novaは明日出演なので引き留められつつ早めにホテルに帰る。
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| ● 2003年3月5日(水) |
ホテルで提供される朝食のビュッフェを3人ともガンガン食べる。特にセカンドキーボード三浦奈緒美は朝型のようで普段から朝御飯を沢山食べているそうだ。海外公演では、とりあえず食べられる時に食べておかないと、次はいつ食べられるかわからないので、無理してでも詰め込んでおいたほうがいい。でも、ビュッフェにもあるタコスまでは朝からはちょっと手が出なかった。
その後、メキシコのweb siteのインタビュー。動画がサイトに載るらしい。Ars Novaはインタビュアーお手製のアクセサリーを付けるように要請されたのだが、別れ際にそれをプレゼントされて喜んでいた。
1時から1時間、ホテルの昼のライブを見てからフェスティバル会場にサウンドチェックに向かう、という計画を立てていたのだが、ホテルのライブのスタートが大幅に遅れ、結局5分ほどしか見ることはできなかった。ライブの模様は2003レビューページを読んでください。結局この昼の部は、次の日以降毎日「午後2時スタートに変更になりました」という張り紙が1時20分前に掲示されていた。どうも、最初の日の準備の様子を見て、次の日以降のスケジュールを変えてしまったらしい。しかも、この延期は毎年繰り返しているようで、以前から来ている人達はちゃんと「正規」の時間にやってくる。ラテン人のこの呼吸を飲み込むにはちょっと時間が必要だ。
3時前に会場入り。初日のトップバッターであるArs Novaは、主催者からはサウンドチェックは2時間半で足りるか、などと親切なことを言われていたのだが、蓋を開けてみると「予定通り」時間が押し、1時間ほどしか時間が取れなかった。もっとも、フェスティバルによっては演奏前に5分間だけチェックして演奏を始める、などという日本では考えられないような環境で鍛えられているArs Novaには全く問題なかった。ただ押しているのは事実なので、大慌てでメイクして、いざ本番。
会場には7時の開演前から、海外には数多いArs Novaファンによる歓声が轟いていた。 演奏は堂々としたもので、バンドがリアクションの大きな観客のエネルギーを吸収してさらにパワフルになっていくのは見ていて気持ちがいい。選曲は、各アルバムから選ばれ初期の名作NOVAなども演奏する。鳴りやまぬ拍手に惜しまれつつ退場。数バンドが出演するフェスティバルなのでいつまでも演奏しているわけにはいかない、とそのときは思ったのだが、どうも人気があればいつまでも演奏していてもよかったらしい。ラテンルールはどうも勝手が違うのでした。観客の評価はこの日一番だった。

また、後になってわかったのだが、初日ではなく後半2日間のほうが音響、照明がよく、またお客の数も多かった。道理で主催者から何度も最終日に出演するように勧められたわけだ。もっとも、バンドのスケジュールの都合上仕方がなかったのだけど。
会場では、初の海外公演であったProgFest95で初めてArs Novaを見て、それ以来のファンであるという人たち多数から声をかけられた。メキシコやカリフォルニアのプログレファンにとって、1995年のArs Novaライブは我々には想像もできないほど衝撃的だったらしい。確かに、初めて見る日本の女性トリオが独特のダークな曲を引っ提げて他の出演者に引けを取らない演奏をしたのだからショックだったろう。その場に居合わせた僕も、あまりの拍手の大きさに驚いた記憶がある。
その後は例によって、Ars Novaはサインを求める人、話しかける人に取り囲まれ、ライブを見に行くことも出来ない状況になる。Ars Novaが動くと人の輪が動いていく。日本ではちょっと想像も出来ない人気者ぶりだ。CD販売も好調に終わり、ここはこれでおしまい。熊谷桂子と高橋アコはスケジュールの都合で、明朝7時に確実に空港に着く必要があり国境越えのために午前4時に出発してしまうのだ。ツアーだとこんなスケジュールは普通だとケロっとしている。
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| ● 2003年3月6日(木)〜3月7日(金) |
一人残った三浦奈緒美は、雑誌やweb site, ラジオなどのインタビューに答え、サインと写真撮影のリクエストに応え、CDの物販売り場で愛想を振りまき、そして見られる限りのライブを見て帰っていった。ヴァーティゴ盤のオルガンサウンドを愛好するという三浦は、有名プログレバンドのTシャツが並ぶ中でコルティ・ディ・ミラコーリを選び、ライブは最前列に陣取ってミュージシャンの表情まで堪能するという、僕の知っている限り一番マニアックな女性でした。
ところで、メキシコの食生活は結構アブナイ。生水は厳禁。生野菜/生果実もやめたほうがいい。3年前のArs Novaメキシコライブでは、熊谷桂子は食中毒で高熱と下痢に悩まされたそうだ。ホテルの部屋にはミネラルウオーターが常備され、アメリカ人は果物を母国から持ち込んでいた。こういう環境であることは知ってはいたのだが、メキシコ人のファンに案内されてタコスを食べに行ってみた。屋外で調理してテラスで食べるファーストフード風の店で正直ちょっと怖くなって三浦奈緒美と店では顔を見合わせたのだが、味はよかった。体調も問題なかった。
アメリカへの再入国は厳しく、熊谷桂子と高橋アコは全ての荷物を検査されたというメールが入っていた。しかし、こちらは荷物検査もなく無事にメキシコを出国することができた。メキシコは想像していたとおりアバウトなラテンな国だったけど、楽しく過ごすことにはエネルギーを注いでいる。時間にはルーズだけど、BajaProgでは決して破綻しなかったし、よくオーガナイズされていると思う。Ars Novaともぜひまた来てみたい。
(Hiroshi Masuda)
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