- Return from Journey ; KEVIN AYERS live at TLG - |
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カンタベリーを代表する歌人 Kevin がその音楽的才能を認めた 若きミュージシャンを引き連れ久々の来日 |
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| KEVIN AYERS Introduce |
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ソフトマシーンの創設メンバーの一人として、その名前は多くのファンの記憶に刻み込まれているが、その音楽性は、ソフトマシーンが後に作り上げた自身のジャズロック・バンドとしてのイメージとは程遠いものである。複雑なアレンジは時として難解なイメージを作り上げた初期のソロ・アルバムから、トロピカルなブルーズを中心としたものまで、その幅広い音楽性は、ソフトマシーンの生みの親デヴィッド・アレンのそれを遥かに凌いでいるという評価すらある。1988年の初来日の際には、オリー・ハルソルという親友にして、音楽的なブレインを伴った4人編成のバンドであった。2度目の来日はそのオリーの突然の死によって、アコースティック・ギターとのデュオとなった。どちらも印象的なステージを繰り広げてくれたが、やはり彼の歌にはバンドのノリが一番よく似合うと感じているファンも多いのではないだろうか。 1944年8月16日に英国南東部カンタベリーのケントで生れた。6歳でマレーシアに移り、12歳でケントに戻っている。その後エセックスのハイスクールに進学したそうだが16歳でドロップアウト、ここから彼の放浪の旅が始まる。 1963年に伝説のバンド、ワイルド・フラワーズに参加。1965年に同バンドを脱退しスペインのイビサ島やマヨルカ島を放浪、この頃デヴィッド・アレンと出会っている。1966年の8月、元ワイルド・フラワーズのロバート・ワイアット(Drs.Vo)、マイク・ラトリッジ(Keys)、デヴィッド・アレン(Gtr)、そしてKevin(Ba,Vo)の4人(正確にはもう一人、ラリー・ノーランというアメリカ人のヒッピー・ギタリストもごく初期には在籍)でソフトマシーンが結成される。1967年2月にはポリドールからデビュー・シングルをリリース。その後デヴィッドが脱退しバンドはトリオとなるが、ジミ・ヘンドリックスとアメリカ・ツアーに出るなど精力的な活動が続き1968年4月にファースト・アルバム“The Soft Machine”を米プローブ・レーベルにて制作。しかし1968年12月にKevinはバンドを脱退、スペインはイビサ島へ移住。皮肉なことにソフトマシーンのデビュー作はこの頃に発売された。 この休息の後、ロンドンに戻りデモテープ制作を開始、EMI傘下のハーヴェストからソロ・デビューすることとなる。1969年11月、アルバム“Joy of a toy”がリリース。旧友ソフトマシーンや現代音楽家デヴィッド・ベッドフォードの協力を得て制作され、適度な前衛趣味とのんびりした牧歌的要素が同居した傑作。その後もハーヴェストから“Shooting at the moon”(1970年10月)、“Whatevershebringswesing”(1972年1月)、“Bananamour”(1973年5月)の3枚をリリース。2,3作目では当時まだティーンエイジャーだったマイク・オールドフィールドがベース兼ギターで参加している。 その後アイランド・レーベルへ移籍、1974年5月にもっともプログレッシヴな感のある“The confessions of Dr.Dream”をリリース。ニコやマイク・ラトリッジといった多彩なゲストの参加に加え、後に彼の片腕となるオリー・ハルソールとの初共演もこの作品である。1974年には、ニコやイーノとのジョイント・コンサートがレインボウ・シアターで行われ、1974年7月に“June 1. 1974”として発表。1975年3月にエルトン・ジョンをゲストに迎えた“Sweet deceiver”を発表。前作とは打って変わったトロピカルな雰囲気のポップ・アルバムに仕上がっている。
1976年にはハーヴェストに復帰し、2月に編集盤“Odd ditties”、7月に“Yes we have no mananas”を発表。1978年4月には“Rainbow takeaway”、1980年に“That's what you get babe”をリリース。これらの作品にはどれもオリー・ハルソールが参加、まさに片腕と言える活躍を見せている。その後マヨルカ島に移り、島内での趣味の演奏のみに活動を縮小。しかし、1982年にはスペインのみでシングル“Animals/Don’t fall in love with me”を発表。またこの頃スペインのマイナー・レーベルに録音した音源が後に“Diamond Jack and the queen of pain”(Charly, 1983年)と“Deja...vu”(Blau, 1984年)として発売。前者は打ち込みが目立つポップス、後者はラフなスタジオ・セッション風アルバム。1986年にはIlluminatedというマイナー・レーベルから“As close as you think”がリリースされている。1988年、突然ヴァージンから“Falling up”がリリース。これは、マイク・オールドフィールドの1987年作“Island”収録曲、“Flying Start”でリードヴォーカルをとったことがきっかけであった。12月、初の来日公演が実現。片腕オリー・ハルソールも引き連れて東京、大阪、福岡の3都市で公演を行った。 1992年にはPermanent Recordsから“Still life with guitar”を発表。旧友マイク・オールドフィールドやアンソニー・ムーアをゲストに迎えている。アコースティックな雰囲気の作品。そして同年6月に二度目の来日公演。サポート・ギタリストにケヴィン・アームストロングを伴っての弾き語り公演だった。 その後、旧作がBGOレーベルから各オリジナル・アルバムや編集盤が発売、BBCラジオ放送用音源や発掘ものなどが様々な形で発売されている。1999年には新興レーベルMarket Squareより、1995年に行われたロンドン公演を収録したライヴ盤“Turn the lights down!”が発売されている。本当に新作が待たれるアーティストである。(宮崎真彦・増田裕) |
| 増田裕氏のHP:"CAPTAIN AHAB'S LONG DISTANCE JOURNEY" |
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| ◆ | 10年ぶりにケヴィン・エアーズがやってくる。まったく、これほどファンをやきもきさせるのだからケヴィンも困り者だ。ライブ活動の噂は断続的に伝わってくるものの、この10年間、純粋な新作アルバムはついに1枚もリリースされなかった。あげくに、最近ではシーフード・レストランを開業したとかで、おいおい、音楽の方はどうなっているの?と心配になるファンも多かったに違いない。が、世間の風など何処吹く風とばかりマイペースな行き方を貫いてきたのがケヴィンなのだ。そんな彼が、やっと重い腰を上げてくれた。キーボードを含む4人編成のバック・バンドを引き連れて、2002年3月、ケヴィンは3度目の日本の土を踏む。オリー・ハルソルはもうこの世にいないが、バンド編成ならではの以外な選曲にも期待したい。ケヴィンの愛するワインを飲みながら、あの甘い低音ヴォイスに酔いしれ、バナナ色をした"カリビアン・ムーン"がお台場の夜に浮かぶのを見に行こう。(小山哲人) |
| KEVIN AYERS OFFICIAL HOMEPAGE : http://go.to/Kevin_Ayers/ | |
| - Return from Journey ; KEVIN AYERS live at TLG - |
| ▼ 2002年3月1日(金),2日(土) | |
| 場所: | お台場 TRIBUTE TO THE LOVE GENERATION URL: http://www.mediage.co.jp/TLG/ |
| ▼ 2002年3月4日(月) | |
| 場所: | 桜ノ宮パタパタ デ ラ サルサ URL: http://www.mediage.co.jp/TLG/ |
| 問い合わせ: |
難波クリアスポット (06-6630-6686) http://www.interq.or.jp/osaka/cspot/ 桜ノ宮パタパタ デ ラ サルサ (06-6881-1111 14:00より) |
| 企画: | POSEIDON Productions |
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